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盆踊り

 

 弓ヶ浜の盆踊りは、綿作りが盛んだった江戸期以来、出雲神門地方や島根半島から働きに来た人たちが歌い、広めたものとされ、♪〜あら やんはとない やんはとない ・・・のハヤシのある「神門踊り」(かんどおどり)や、♪〜さあ ようおい よういやな・・・の「くどき踊り」、「茶町おどり」などが盛んに踊られた。大正、昭和初期、和田には西伯郡でも指折りとされた、くどき手・村井重造氏がおり、その音頭帳から松本重隆氏編の労作冊子「盆踊り音頭帳」が残された。
 さらに美声の音頭取りで西口繁道氏(踊り上手でもあった)、末次八重子さん、安達音義氏(以上上和田)、田中新一氏(下和田)らを輩出。和田の音頭取りと踊り上手たちは、盆十八日の蓮花様といった小篠津・龍泉寺、十九日葭津の堂、二十四日富益の塚様、二十六日には和田の小祠・亀神社(亀様、かめさん)と巡り踊ったという。
 村内では、初盆の家から要請を受けて門先(かどさき)で慰霊と供養のため踊ったほか、小学校校庭や下和田・堂(藷塚さん=いもつかさん)の境内で踊った。
 昭和十年代には、講社道浜灘に建てられた勝衛網の瓦葺大漁小屋の外灯の下に若い男女が衣食を持って集まり、夜中の月の出を待って二十六夜(六夜)待ちの盆踊りを、夜を徹して踊ったという。亀神社(亀さん)で踊ったあと場所を移動したとも・・・。
 和田の盆踊りの伝統は、昭和六十二年八月の美保基地内納涼盆踊り大会への和田公民館婦人部の踊りの連参加や、毎年の公民館主催盆踊り大会に引き継がれている。

 


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